2009,06,20 / 00:00
平成になったばかりのバブル経済華やかかりし頃、とある歓楽街の路地裏にある飲食店でボクはアルバイトをしていた。
まだまだ色濃く残る昭和の香りと、新しく迎えた時代とが混沌としていて、妙に浮かれたような熱気を帯びた、そんな時代。
店に来る客の大半は、金ピカのアクセサリーにまみれた恰幅の良いオッサンと、派手な化粧をした女のセットで、女の方は時折日本語がカタコトだったりもした。
ボクの仕事はそんな人たちで埋め尽くされたホールを走り回って注文を聞いてくることと、もうひとつ、出前を持って行くこと。
歓楽街にある店だから、出前を頼んでくる相手の傾向は大体においてこの3つ絞られてくる。
キャバクラか雀荘か店の向かいにある老舗のダンスホールか。
キャバクラはそこかしこに乱立する雑居ビルに入れ替わり立ち代りひしめくようにあるから、自然そういう店からの注文は多くなる。
一番多くはあるけど、注文するのは殆どが客の男で、しかも見栄を張ったり大きい男アピールをしがちだから問題もあまり起こらないし、つり銭を貰えることもしばしばあるので、おいしいことこの上ない。
向かいのダンスホールからの注文も、踊り子のお姉さん方におちょくられることはままあったけど、こちらもつり銭を貰えたりも結構あって良いお客だった。
単発で病院とかヤ○ザの事務所なんてのもあったけど、病院はさておきヤ○ザさんの方も、案外と優しく対応してくれるんで、オカモチを持つ手がぐっしょり濡れて滑り落としてしまいそうにはなるけれど、問題にはならない。
問題は雀荘。
ここからの注文は本当に問題になることが多い。
店自体はこの辺りには片手で数えるほどしかないが、注文は半端なく多くて、下手をすればキャバクラを凌ぐくらい来る。
しかもたいていイライラしてて、タイミングが悪ければつり銭の払い待ちをしなきゃならない時だってある。
そんな相手だから当然のごとくつり銭を貰うなんて有り得ないし、時には八つ当たりされることも。
噂というか、ほぼ確定な話なんだけど、ヤ○ザが仕切っている店も何軒かあるとか。
そういえば味噌汁がこぼれたとか箸が上手く割れなかったとかで3回くらい出前を持って行かされたヤツもいたっけ。
最後は泣いて帰って来てたよ。本当かわいそうだった。
どうやらその時は従業員の注文だったらしんだけど、事務所と違ってそういうところは下っ端がやっててガラが悪いのだろうか。
味噌汁に関しては、ただでさえ路地裏の狭っ苦しい道なのに人でごった返している上に、なぜかやたらバカでっかい高級車がひっきりなしに行き交っているもんだから、そんな中をオカモチを持ちながら自転車で通って行くには相当なテクを要するので、必然的に起こり得るミスではある。
とはいえ、こればっかりはどう言い訳してもこちらが悪い。
相手がどうあれ謝るしかない。
が、箸が上手く割れなかったて。なんだよそれ。丸出しかよ。
そんなアルバイト生活も半年ほど経った。
向かいのダンスホールは潰れてなくなってしまい、昭和の名残りがまたひとつ消えて物悲しく思えるけれど、時代はまだまだ元気だ。
相変わらずこの街は人で溢れて賑わっている。
そんな折、新しいアルバイトの子が入ってきた。
その頃にはすっかり慣れて、ちょっとしたベテランくらいになっていたボクは、新人の教育係を任された。
ボクは嬉々として得意気に先輩風を吹かしながら新人教育にあたった。
その一環として、出前にもその子と二人であーだこーだとレクチャーしながら出て行っていた。
そしてある日、ついにあの店に出前に行く時が来てしまった。
以前、変な因縁をつけられて3回も出前に行かされたあの雀荘に。
結局その出前に行かされたヤツは、あれから程なくして辞めていったっけ。
またあんなことが起これば、せっかく入った新人なのに逃げ出してしまいかねない。
ここは慎重に、注意深く。この新人の子にもきつく言っておこう。
果たして、特に何の問題もなく無事に済ませるコトが出来た。
一礼をして店を出て扉を閉めた瞬間、ボクは心底ホッとした。
新人の子の表情もどこか緩んで見える。
いけないいけない。まだまだヤツらのテリトリー内だ。ココで油断してはいけない。
ボクはそのまま後ろ向きに歩きながら、新人の子に、やはり先輩風を吹かせながら偉そうに講釈を垂れていた。
そんなボクの右足が地面に降りた瞬間、ボクは全く動けなくなってしまった。
精神的なモノや病気の類ではなく、物理的に何かとてつもなく重いものがボクの右足に圧し掛かっていて、全く動けない。
もがけどももがけどもボクの右足はカンペキに固定されてしまっていて、僅かすら動くことを許してくれない。
いったいなにが起こったんだ?
ボクは辺りを見回し状況の把握に努めるコトにした。
新人の子がヤケに驚いた顔をしながら、ボクの足元あたりを指差しているのに気付いた。
その指先を辿って見てみると、タイヤがボクのかかとに!
え?かかと!?
これをどう説明すればいいのか、ボクの右足のかかと部分を、ボクの右横からやってきた車が踏んでいるのだ。
ボクは慌てて上半身を捻り、運転手に向かって叫んだ。
しかしいくら叫べども声は届かない。
車は白のセルシオだった。なるほどこれが、トヨタが世界に打って出るために満を持して放ったセルシオという車か。
最近そんな車が出たって聞いてたけど、さすがエンジン音さえ聞こえないといわれた静粛性。今まさに実感。
て!違うから!そんな場合じゃないから!踏んでるから!
さらに必死にもがいてみたけど、まるで食い込むようにボクのかかとに吸い付いて放してくれない。
さすがセルシオのタイヤ。凄まじいグリップ力だ。この足で世界を掴むんだね。スゴイね。
て!今そんな高性能を発揮してくれなくていいから!
ボクはもう一度上半身を捻って、今度はジェスチャー付きで「下がれー!」と叫んだ。
ものすごい形相で。必死に。
それが通じたのか、はたまた不審に思われたのか、ともあれようやく下がってくれた。
ああ。足が軽い。自由に動けるって、いいね。
不条理な抑圧から解放された喜びにボクの胸は打ち震えていた。
そんなボクを指差してケタケタ笑う新人の子。
そいつは店に帰る間中ずっと笑いっぱなしだった。
ちくしょうなにがおもろいねん。
でもこんなコト、良くある話だよね。
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ってか、この話はズルいよ。げらげらげら。